中津駅の北口のロータリーに建っています。 福沢諭吉と中津の縁は父が中津藩の藩士で、父が大阪の中津藩に仕えていた頃に諭吉が生まれたので生まれこそ大阪ですが、1歳の時に父が亡くなり中津へ来て19歳の時に長崎へ遊学するまで中津で過ごしています。 その後、中津へ戻ったり大阪へ遊学したりした後で江戸へ行き、23歳で後の慶應義塾の元となる「一小家塾」を開いています。 永いこと一万円札の象徴としての存在感があ...
中津駅を出たら誰もが見える場所に堂々と立っています。足元には「蘭学の泉はここに」と書かれた碑があり、右側には「祝 福沢諭吉肖像一万円札発行30周年記念」の看板もありました。福沢諭吉肖像一万円札は渋沢栄一肖像一万円札に変わりなくなる運命ですが、この銅像は永遠に中津駅前に立ち続けることでしょう。ちなみに渋沢栄一像は埼玉県の深谷駅前にあります。
中津駅前ロータリーに立つ立像です。腕組した立像は大きく目立つ存在となっていました。但し、右隣に設置された "祝 福澤諭吉肖像一万円札発行30周年記念" の大きなパネルの方が目立っていました。
福沢諭吉先生生誕150年を記念して昭和60年(1985)に建立されました。 JR中津駅北口にあり、像高3m 台座高2mとのことです。 当時、先生は士族なのだから丁髷姿で二本差し姿の方が良かったのでは無いかとの意見が有ったそうです。 しかし、丁髷頭を叩いてみれば、因循姑息の音がするなんて俗謡が有った明治期に、先頭に立って因循姑息を排斥した先生に、丁髷姿は似合うはずもありません。 和服の着流し...
一万円札に描かれている福沢諭吉 彼の出身地であり、また像があると聞いたので見に行った なんとなくお金が貯まればいいなと手を合わせたくなるような像だった
1万円札の象徴だったけど2024年から変更に・・・
中津駅の北口のロータリーに建っています。 福沢諭吉と中津の縁は父が中津藩の藩士で、父が大阪の中津藩に仕えていた頃に諭吉が生まれたので生まれこそ大阪ですが、1歳の時に父が亡くなり中津へ来て19歳の時に長崎へ遊学するまで中津で過ごしています。 その後、中津へ戻ったり大阪へ遊学したりした後で江戸へ行き、23歳で後の慶應義塾の元となる「一小家塾」を開いています。 永いこと一万円札の象徴としての存在感があ...
駅前の目立つところに立っています
中津駅を出たら誰もが見える場所に堂々と立っています。足元には「蘭学の泉はここに」と書かれた碑があり、右側には「祝 福沢諭吉肖像一万円札発行30周年記念」の看板もありました。福沢諭吉肖像一万円札は渋沢栄一肖像一万円札に変わりなくなる運命ですが、この銅像は永遠に中津駅前に立ち続けることでしょう。ちなみに渋沢栄一像は埼玉県の深谷駅前にあります。
中津駅前ロータリー
中津駅前ロータリーに立つ立像です。腕組した立像は大きく目立つ存在となっていました。但し、右隣に設置された "祝 福澤諭吉肖像一万円札発行30周年記念" の大きなパネルの方が目立っていました。
庶民的で親しみ易い銅像です
福沢諭吉先生生誕150年を記念して昭和60年(1985)に建立されました。 JR中津駅北口にあり、像高3m 台座高2mとのことです。 当時、先生は士族なのだから丁髷姿で二本差し姿の方が良かったのでは無いかとの意見が有ったそうです。 しかし、丁髷頭を叩いてみれば、因循姑息の音がするなんて俗謡が有った明治期に、先頭に立って因循姑息を排斥した先生に、丁髷姿は似合うはずもありません。 和服の着流し...
お金が貯まったらいいな
一万円札に描かれている福沢諭吉 彼の出身地であり、また像があると聞いたので見に行った なんとなくお金が貯まればいいなと手を合わせたくなるような像だった