「なでしこ」と名付けられた一豊・千代の像ですが、元々の白亜像が幾分くすんだ状態となっていました。所々は黝ずんできており整備が行届いていない事が分かりました。折角建立したのであれば、その後の整備も継続して欲しい、残念な像と云えそうでした。
JR坂田駅前ロータリーの中に有る白い石造です。仲睦ましいお二人が揃っています。後に土佐藩の藩祖となった一豊公と千代の方、小説やTVで活躍を拝見しました。残念ながら二人には相続する子供がおらず(女の子がいたが幼くして死亡)、弟の血統が土佐藩藩主の座に着きます。
坂田駅前の駐車場の一角に像が立っています。一時期は観光客の姿もありましたが、一段落すると普段は目に留める人は少なさそうでした。「なでしこ」と名付けられ、白亜の像が目立つ状態になっていました。
司馬遼太郎の「功名が辻」が大河ドラマになって、当時はもてはやされたそうです。高知城にも行った自分は、一豊・千代には親近感もあり、興味をもって行きました。一豊夫妻は「内助の功」で有名ですが、墓石は千代のものが大きく見えます。夫を立てつつ、実際は妻が権力を握っていた戦国女性の「したたかさ」を垣間見ました。
北陸本線・坂田駅前の広場に像が立っています。鎧兜を着け騎乗の山内一豊公の横に千代夫人の立像と、無理矢理2人を並べただけの不思議な配置となっていました。猶、台座には、"なでしこ"とありました。
整備不良で黝ずんできていました。
「なでしこ」と名付けられた一豊・千代の像ですが、元々の白亜像が幾分くすんだ状態となっていました。所々は黝ずんできており整備が行届いていない事が分かりました。折角建立したのであれば、その後の整備も継続して欲しい、残念な像と云えそうでした。
仲睦しいお姿です
JR坂田駅前ロータリーの中に有る白い石造です。仲睦ましいお二人が揃っています。後に土佐藩の藩祖となった一豊公と千代の方、小説やTVで活躍を拝見しました。残念ながら二人には相続する子供がおらず(女の子がいたが幼くして死亡)、弟の血統が土佐藩藩主の座に着きます。
白亜の「なでしこ」像
坂田駅前の駐車場の一角に像が立っています。一時期は観光客の姿もありましたが、一段落すると普段は目に留める人は少なさそうでした。「なでしこ」と名付けられ、白亜の像が目立つ状態になっていました。
墓所は高地にあるものばかりと思っていました。
司馬遼太郎の「功名が辻」が大河ドラマになって、当時はもてはやされたそうです。高知城にも行った自分は、一豊・千代には親近感もあり、興味をもって行きました。一豊夫妻は「内助の功」で有名ですが、墓石は千代のものが大きく見えます。夫を立てつつ、実際は妻が権力を握っていた戦国女性の「したたかさ」を垣間見ました。
JR坂田駅前広場
北陸本線・坂田駅前の広場に像が立っています。鎧兜を着け騎乗の山内一豊公の横に千代夫人の立像と、無理矢理2人を並べただけの不思議な配置となっていました。猶、台座には、"なでしこ"とありました。