JR米原駅東口にひっそりと佇む跡地です。以前はここが琵琶湖とつながっていて、大津湊と美濃の国を結ぶ要所となっていたようです。JR米原駅は現在、鉄道の要所となっていて、米原が東西を結ぶ交通の要所であることがこのモニュメントから良く分かりました。
米原駅そばに米原湊跡の記念碑が有ります。この近辺から琵琶湖まで運河を開き美濃方面の物資を運んだそうです。鉄道の開通によりその業務を終えました。
米原湊は1603年に琵琶湖と入江内湖を結ぶ堀を開削して開かれた。美濃路方面への物資輸送の拠点であったが、鉄道の開通と入江内湖の干拓で役目を終えた。現在湊の痕跡はなく、米原駅東口(近江鉄道側)の駅前に船を模したモニュメントと「米原湊跡」と彫られた石碑が設置してあるのみである。
いつも思うのですが、東海道本線と北陸本線が合流する駅なのに、駅前は閑散としています。降りる人がいないからでしょう。そんな寂しい駅前にポツンと立つ碑です。彦根藩が琵琶湖水運で重要とした港の一つです。江戸初期に造られ、中山道・番場宿に通じていました。それにしても寂しい町です。
駅前は綺麗に整備されているが、この小さいモニュメントがあるだけでした。あまりに殺風景な駅前なのでココに設置してみたという感じで、全く痕跡のない湊跡地でした。
交通の要所
JR米原駅東口にひっそりと佇む跡地です。以前はここが琵琶湖とつながっていて、大津湊と美濃の国を結ぶ要所となっていたようです。JR米原駅は現在、鉄道の要所となっていて、米原が東西を結ぶ交通の要所であることがこのモニュメントから良く分かりました。
水運を使って物資を運びました
米原駅そばに米原湊跡の記念碑が有ります。この近辺から琵琶湖まで運河を開き美濃方面の物資を運んだそうです。鉄道の開通によりその業務を終えました。
石碑が残るのみ
米原湊は1603年に琵琶湖と入江内湖を結ぶ堀を開削して開かれた。美濃路方面への物資輸送の拠点であったが、鉄道の開通と入江内湖の干拓で役目を終えた。現在湊の痕跡はなく、米原駅東口(近江鉄道側)の駅前に船を模したモニュメントと「米原湊跡」と彫られた石碑が設置してあるのみである。
琵琶湖水運の要所
いつも思うのですが、東海道本線と北陸本線が合流する駅なのに、駅前は閑散としています。降りる人がいないからでしょう。そんな寂しい駅前にポツンと立つ碑です。彦根藩が琵琶湖水運で重要とした港の一つです。江戸初期に造られ、中山道・番場宿に通じていました。それにしても寂しい町です。
想像出来ない跡
駅前は綺麗に整備されているが、この小さいモニュメントがあるだけでした。あまりに殺風景な駅前なのでココに設置してみたという感じで、全く痕跡のない湊跡地でした。