鹿児島中央高校の西側にあります。二つある井上良馨生誕地のうち、高校沿いにあるほうからすぐのところです。少年時代から西郷隆盛と友だちでまさに盟友という感じの人物です。この辺は石碑が多いですが、狭い範囲の有名人の多さに改めて驚きます。
西南戦争で薩軍の大隊長として活躍した村田新八の誕生地の石碑です。 加治屋町、みゆき通りの維新ふるさと館入口の交差点の一角にあります。鹿児島中央高校の敷地内が誕生の地ですね。 村田新八は天保7(1836)年、高橋良中の第三子として生まれますが、幼少期に村田家の後継ぎとなりました。文久2(1862)年、西郷隆盛が島津久光の命に背き徳之島に流された際共に罪を得て喜界島に流されています。明治4年の岩倉...
村田新八誕生之地は鍛治屋町、鹿児島中央高校の角にあります。 大山巌誕生之地とは、道路を挟んでお向かいです。 村田新八は薩摩藩士。 終生西郷隆盛と共にあり、西南戦争では西郷の自決を見届けてから自刃したとか。 小さいけれど立派な石碑です。
西郷隆盛と共に幕末を駆け抜けた鹿児島の偉人、村田新八の生誕地。西南戦争で自刃という最期を迎えたそうです。
村田新八は、1836年、鹿児島市加治屋まちで生れたと伝わっています。西郷隆盛を兄のように慕い、一緒に尊王攘夷運動で活躍しました。岩倉遣外使節団の一員となりました。帰国後、西郷隆盛が下野したことを知ると職を辞し鹿児島に戻ります。西郷と行動を共にし、西南戦争で戦死しました。
盟友
鹿児島中央高校の西側にあります。二つある井上良馨生誕地のうち、高校沿いにあるほうからすぐのところです。少年時代から西郷隆盛と友だちでまさに盟友という感じの人物です。この辺は石碑が多いですが、狭い範囲の有名人の多さに改めて驚きます。
西南戦争で薩軍の大隊長として活躍した村田新八
西南戦争で薩軍の大隊長として活躍した村田新八の誕生地の石碑です。 加治屋町、みゆき通りの維新ふるさと館入口の交差点の一角にあります。鹿児島中央高校の敷地内が誕生の地ですね。 村田新八は天保7(1836)年、高橋良中の第三子として生まれますが、幼少期に村田家の後継ぎとなりました。文久2(1862)年、西郷隆盛が島津久光の命に背き徳之島に流された際共に罪を得て喜界島に流されています。明治4年の岩倉...
西郷どんの腹心
村田新八誕生之地は鍛治屋町、鹿児島中央高校の角にあります。 大山巌誕生之地とは、道路を挟んでお向かいです。 村田新八は薩摩藩士。 終生西郷隆盛と共にあり、西南戦争では西郷の自決を見届けてから自刃したとか。 小さいけれど立派な石碑です。
西郷隆盛と共に…
西郷隆盛と共に幕末を駆け抜けた鹿児島の偉人、村田新八の生誕地。西南戦争で自刃という最期を迎えたそうです。
城山で戦死
村田新八は、1836年、鹿児島市加治屋まちで生れたと伝わっています。西郷隆盛を兄のように慕い、一緒に尊王攘夷運動で活躍しました。岩倉遣外使節団の一員となりました。帰国後、西郷隆盛が下野したことを知ると職を辞し鹿児島に戻ります。西郷と行動を共にし、西南戦争で戦死しました。